猫の目を見つめる。

猫さんとバッタリ出会ったことから、昔撮影した猫の写真を思い出した。茶トラのノラさんだったが、警戒心が微塵もなく、私の目の前で昼寝を始めた猫だ。

気まぐれに訪れた場所で、偶然居合わせた猫。

撮影の時には気づかなかったが、その子はたぶん風邪気味だったのだと思う。

帰って画面で確認していたら、目やにがついていて、お鼻も少しずぐずしていた。

9年前の話になる。

ストリート写真はレタッチしない。あるものはそのまま。

私がその環境に影響を与えることもしない。

ただ、ドキュメントするだけ。

その時はそう思って撮影していたけれど、

そのあと徐々に自分で環境を整えること・自分もその一部になることを学び、今は少し違う心境にあることに気づいた。

あの時の状況がまた目の前に現れたとしたら、どうしたいだろう。

もうあの状況が再び現れることはないとしても、今の自分には何ができるだろうか。

そう考えた結果、レタッチで猫さんの目やにをとってあげることにした。

おそらくこれは私が「猫」というイメージに望んでいることであって、被写体の猫さんが望んでいたことではないかもしれない。

猫さんは綺麗好きとはいえ、人間を見て、

「目やにとってくれないかなー」とか

「顔拭いてブラッシングしてくれないかなー」と、そんなことを考えているとは思えない。

たぶん、身だしなみは自分で整えられると思っていると思う。当時出会った猫さんはそのままで幸せそうだったし、存在自体が完璧だった。

そんなことを思いながらの編集作業3時間だった。

猫さんにバッタリと会った

「ばったり」って

「◯◯とバッタリ会った」とか言うけれど、

ばったりって擬音なんだろうか、それとも副詞?

辞書で調べたら、副詞だった。

明鏡国語辞典によりますと、「ばったり」には3つの意味があるらしい。

  1. 急に倒れるさま
  2. 思いがけなく人と出会うさま
  3. 続いていたものが急に途絶えるさま

そして、「ばったり」のあとには、「と」を付けるのが約束らしいが省略されることもあるらしい。

というわけで、

昨日、猫さんとばったりと顔を合わせた。

いや、猫さんは人ではないので、「ばったりと」とは言わないのだろうか。

まぁ、とにかく

昨日、猫さんとばったり出会った。

食料品の買い物へ出かけ、団地の階段を降りていたところだった。

風の通り道だからか、オレンジ色の蝶々やアゲハ蝶がヒラヒラと舞っていた。

最後の数段に差し掛かったところで、若い猫さんがやってきた

彼方(あちら)からすれば、「鉢合わせた」という感じだったのかもしれない

前足を一段目の段差にかけたところで、こちらに気づいたらしい。

ピタリと動きが止まる。

ジーっとこちらを見上げたまま、固まっている。

両耳もこちらに向け全神経を働かせているようだった。

怖がらせたくなかったので、ゆっくりそっぽを向いて、様子を伺う

まだこちらを見つめている。

またそっぽを向いて階段脇の木々を眺めていると、

「ザッ」という音ともに猫さんは姿を消した。

脇の方にそれてまだ様子を伺っているのかなと、

あたりを見回したけれど、どこにも見当たらない。

きれいに姿を消している。

隠れるのがうまい。

さすがだ。

また会えたらいいなと思う。

もうすぐ1ヶ月、欲が出て同じ結果になったこと。

スマホを持たなくなって1ヶ月が経とうとしている。あまり不便はない。むしろ気が楽だ。

支払い続けている機種代や基本料金

格安SIMにしておいてよかった。

使い始めてまだ半年だったのに、保険にも入っていなかった。

失敗は割り切って修理に出せばそれでよかったのに、同じ場所には戻りたくないと言う欲が出た。

結果、カメラのグレードを上げて機種変した。

この10年ずっとiPhoneだったから、Androidのインターフェイスも体験してみたい。

違いはなんだろう、1インチのセンサーで撮れる写真ってどんな感じだろうか。

好奇心にも負けた。

そして、意を決し機種変更をした。端末サポートにも加入した。

が、しかし、である。

箱を開けてみれば同じようなことで、せっかく届いたのに今度は初期不良で結局修理に出すこととなった。サポートセンターに端末の状態を話したら、保証期間内なので無償の修理になるとのことだった。

このところこんな感じで「おあずけ状態」が続いている。

きっと今は休むときなのかもしれない。

成長中なのかもしれない

準備中でもあるのかもしれない

今体験していることは、今手元にあるもので十分だということに気づかせてくれ

大切なことは目の前にあることも気づかせてくれた。

きっと大丈夫

願いを新たに

前を向き歩く

ゆっくり、ていねいに。

凪のような時間を過ごすコツ

「待つ」というのは凪のような時間だと思う。

何を待っているのかにもよるのかもしれないけれど、楽しみでワクワクしていたり、期待と不安が入り混じっていたり、前にも後ろにも進んでいない状態だったりする。

風もなく、水面(みなも)はぴたりと留まり静まり返っている。やることを全てやってしまったあとなら尚更(なおさら)、待っていることも忘れてしまいそうな透明な時間だ。

ここ最近、そのような時間を過ごしているように思う。

新しいことの連続のようでもあり、これまでの繰り返しのようでもあり、

マルセル・プルーストや「7つの習慣」の著者が言うような「螺旋(らせん)状」のような人生を上昇してゆきたいと思う。

変えるところは変え、捨てるものはバッサリ捨てる。

ものを変えたり新しくすると、自分も変わったような気になるが、

実際は、どうだろうか。

考えの根本が変わらない限り、人生は変わらない。

「なぜ」を自分に問い続ける。

「考え」と言う言葉は意味の範囲が広い言葉だ。

思考でもありイデアでもあり、どちらの意味も含むと言うことは、曖昧(あいまい)でもあり、包括的(ほうかつてき)でもあると言える。

そして、「考え」という名詞に「る」をつけることで動詞の原型(げんけい)が出来上がるが、この「考える」ことをやめたとき、人の成長はそこで止まってしまうだろう。

名詞は変化しない。

動詞になって初めて変化する。

よく人に「考えすぎだよ」と言われた私だけれど、何も考えず私欲のままに生きてゆけば、待っているのは虚無だけだ。

どうすれば幸せであり続けられるのか

どうすれば自分もまわりの人も笑顔で喜びあっていられるのか

望んでいるのは本当にそのことなのか

本当にそれでいいのか

考え続けて生きる。

凪のような人生も水面下は濁流(だくりゅう)だ。

踏ん張り耐え抜く力を養う。

ゆっくり、ていねいに。

聞かれたら、答える。でも、答えなくていい時もあるらしい。

なんというか、まぁ外出先で話しかけられることがよくある。

毎回でもないけれど、

・始めてきた場所で道に迷いながら歩いたいたら、道を訊かれてしまった in Yokohama

・10年ぶりに来ているのに、まだ行ったこともないライブ会場の場所を訊かれる in Odaiba

・横断歩道を渡り終えたら、道を訊かれた in 地元

・初めてきた街で、道を訊かれた in London

・家の近所を歩いていたら、やっぱり道を訊かれた。

・本屋さんで立ち読みをしていたら、やっぱり話しかけられた。

コロナ禍でもそれは変わっていないのか、先日も携帯ショップに朝一番の予約を入れて、お店が開くのを待っていたら、年配の男性に「何時開店ですか?」と尋ねられる。マスクをして、偏光グラスのメガネをかけて、帽子もかぶっているのに。同じような境遇の方がいらっしゃるとわかって私の気は楽になったけれども。

一体どうしてだろう。

本屋さんで話しかけられた時は、一通り話が終わって相手の方に「あんた、末っ子じゃろう?」と言われてしまった。「どうしてわかったんですか?」と、聞き返すと、「長子や真ん中の子は知らない人に話しかけられたりしても警戒心があるから、絶対に応えたりしない」とのこと。

警戒心、あるようでない私。

そういえば、10年ほど前、京都の神社へお参りに行った時にも不思議なことがあった。

参拝の帰り、山道の脇にいた托鉢姿の人に呼び止められたので、立ち止まった。そして、何か困っていることはないかと訊かれたので、その時迷っていたことを相談した。

「AにしようかBにしようか、どちらにしようか迷っていて、どうするのがいいでしょうか」と。

托鉢姿のその人は「どちらも選べばいいでしょう。半分半分、行ったり来たりすればいいんじゃないでしょうか」と、助言をいただき、私も「まぁ、そうだな」と、気が軽くなり、お布施をお渡しして別れた。

でも、一体どうして、神社にお坊さんがいるんだろうと後になって気づくのです。

まぁ、いっか。

あくびをして、また明日。

おやすみなさい。

タイムトラベル

風呂上がりにストレッチをする。

昨日も今日もよく動いた。

FAX・コピー・スキャン機能のついた複合機が届いたので、ついでに部屋の整理もした。

電話機能も付いていて、子機もある。

必要を満たしてくれる優れものだ。

FAX機能のついた電話機を購入する半分の値段だったのでこちらにすることにした。

壊れていたFAXとプリンターはリサイクルに持っていくので玄関に置いておく。

配線を整え、床を掃除し、お茶メーカーやトースター、小物家電の配置を変える。

お昼を挟んで、複合機の初期設定。

頭を使った翌日、床の拭き掃除をした。

頭も身体も使ったからか、

ベッドに寝転んだとたん力が抜けた。

「豆電球を消さなきゃな」そんな思いも聞き入れることなく体は眠り始める。

オレンジ色の光に包まれ、目が覚めた。

起き上がり、電気を消す。

時計を見ると深夜1時

これまで青と緑色のLEDが点滅していたリビングには赤とオレンジが加わった。

真夜中なのに賑やかな光景だ。

今日でもなく明日でもないこの時間に

昨日のことを思い出しす。

10年以上も前に父が購入した食器棚中央の収納スペースに

数年前に母がお友達からいただいたお茶メーカーがすっぽりとハマった瞬間のことを。

おうちにいらっしゃったことがあるわけでもなかったのに、パズルのピースが完全に合わさった。

時は巡り、私は眠りに戻る。

凍ったスイカとパイナポー – フルーツサイダーとの出会い

アイスが食べたい

ソフトクリームが食べたい

でも私には食べられない。

たぶん一口なら大丈夫だろう。

こんなに暑いのに……。

乳製品の入っていないアイスというと、かき氷、小豆バーが思いついた。

小豆バーにハマった年もあったけれど、

最近は果物アイスにハマっている。

食べきれなかったカットスイカを冷凍庫に保存したことがはじまりだった。

糖度の高い果物を買ってきて、カットしてタッパーに間隔を開けて並べる。

あらかじめ切って販売されているカットフルーツでもいい。

糖度の表示を見ると、カットフルーツはおおむね糖度が高い。

糖度が高い方がおすすめだ。

糖度が高ければシャーベットのように、低ければ氷のようになる。

タッパーに入れたら、あとは冷凍庫に入れるだけ。

一晩凍らせたら、そのまま食べるもよし、

かき氷みたいにして食べるもよし、

最近のお気に入りは、フルーツサイダー。

ガラスのボウルに凍った果物を入れ、炭酸水をかけるだけ。

しばらく置いておくと、果物が程よく溶ける。

溶けると同時に香りも溶け出す。

昨日は最初に炭酸をいただいて、柔らかくなった果物の上にヨーグルトをかけていただいた。

果物はこれまでにスイカ、桃、パイナップルを試してみたけれど、南国のフルーツ・パパイヤもきっと美味しいだろう。

ひとときの楽しみ。