凪のような時間を過ごすコツ

「待つ」というのは凪のような時間だと思う。

何を待っているのかにもよるのかもしれないけれど、楽しみでワクワクしていたり、期待と不安が入り混じっていたり、前にも後ろにも進んでいない状態だったりする。

風もなく、水面(みなも)はぴたりと留まり静まり返っている。やることを全てやってしまったあとなら尚更(なおさら)、待っていることも忘れてしまいそうな透明な時間だ。

ここ最近、そのような時間を過ごしているように思う。

新しいことの連続のようでもあり、これまでの繰り返しのようでもあり、

マルセル・プルーストや「7つの習慣」の著者が言うような「螺旋(らせん)状」のような人生を上昇してゆきたいと思う。

変えるところは変え、捨てるものはバッサリ捨てる。

ものを変えたり新しくすると、自分も変わったような気になるが、

実際は、どうだろうか。

考えの根本が変わらない限り、人生は変わらない。

「なぜ」を自分に問い続ける。

「考え」と言う言葉は意味の範囲が広い言葉だ。

思考でもありイデアでもあり、どちらの意味も含むと言うことは、曖昧(あいまい)でもあり、包括的(ほうかつてき)でもあると言える。

そして、「考え」という名詞に「る」をつけることで動詞の原型(げんけい)が出来上がるが、この「考える」ことをやめたとき、人の成長はそこで止まってしまうだろう。

名詞は変化しない。

動詞になって初めて変化する。

よく人に「考えすぎだよ」と言われた私だけれど、何も考えず私欲のままに生きてゆけば、待っているのは虚無だけだ。

どうすれば幸せであり続けられるのか

どうすれば自分もまわりの人も笑顔で喜びあっていられるのか

望んでいるのは本当にそのことなのか

本当にそれでいいのか

考え続けて生きる。

凪のような人生も水面下は濁流(だくりゅう)だ。

踏ん張り耐え抜く力を養う。

ゆっくり、ていねいに。

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