死によってどのように見方が変わるでしょうか ?
この間、写真家の星野道夫さんの番組を観ていて、彼が言っていた言葉が胸にじんわりと染み込んでいくようだったのを思い出しました。星野さんがカリブー(トナカイ)の大移動を撮影していて、大移動のあとの平原に、狼に襲われ命を落として地面に横たわっているカリブーを見つけ、その傍(かたわら)に腰を落とし見つめた後、自然界ではこれは悲しいことではないんだよね、と、静かに言ったのです。これから土に還り大地の栄養となって次の春には花を咲かせるだろう、という内容のことを語る彼の眼差(まなざ)しは透明で、あるがままを受け入れている様子でした。
自然のいち因子として存在しているからこその視点で撮影する。
自然界に生きる生き物や自然と共に生きている私たちの生理的な死は、ひとつの終わりではあっても完全な終わりではなく、いのちの循環(じゅんかん)の一部分であり、太陽がある限り続いていくものなのだと、気づかせていただきました。
お読みいただきありがとうございました。
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